ゼロから知りたい!どら焼きの秘密
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パンの知識・教養

ゼロから知りたい!どら焼きの秘密2020.04.03

知っていますか?
4月4日は、どら焼きの日です。

ドラえもんの大好物としても有名な、どら焼きには
なんと、約800年もの深い歴史が刻まれていました。
その起源のひとつに「武蔵坊弁慶」との繋がりもあったんですよ。

今回は、ゼロから知りたい!どら焼きの秘密に迫ります。

どら焼きのドラは、どこから?

どら焼きは漢字で、「銅羅焼き」と書きます。

「ドラえもんの大好物だから、ドラ焼きだと思ってた」という声も、よく聞きますが、それは間違いでした。ドラえもんは1969年に誕生していますが、どら焼きの誕生は800年前です。

どら焼きの方が、ずーーーーっと年上なんですね。

諸説ありますが、打楽器の「銅鑼」に似ている事から、「どら焼き」という名前がついた。という説が有力なようです。他にも、平安時代の人物「武蔵坊弁慶」が、銅羅でお菓子を焼いた事により、「どら焼き」が生まれた。という説がありました。

武蔵坊弁慶が焼いた!ハチミツどら焼き

時は、平安時代(794年〜1185年)末期のこと。

源平合戦のさなか
源義経と武蔵坊弁慶一行が、奥州へ逃げていく道中に、弁慶がケガをしました。その時、とある民家でケガの手当をしてもらったのです。弁慶はとても感謝して、お礼にと鉄板のかわりに銅羅を熱して、生地を焼き、あんこで包んだスイーツを作ってあげたのでした。

これがこの世で初めての
銅羅焼きこと、「どら焼き」でした。

平安時代では、甘い味つけをする時に、砂糖ではなくハチミツを使っていたそうです。砂糖は当時、中国から伝えられたという貴重な伝来品。
あまりにも貴重すぎて、甘味料というよりは薬の一つとして使われていました。

ですのでこの時代、砂糖のかわりにハチミツで甘さを足していたんですね。ハチミツどらやきって、ちょっと美味しそうな感じがします。
弁慶が焼いた、ハチミツどら焼き。
一体、どんな味だったんでしょうね?

関西ではどら焼きを、『三笠』と呼ぶ!

どら焼きのことを、関西では「三笠」とか
「三笠山」と呼びます。
その名の由来は、とても風雅で

「天の原 ふりさけみれば春日なる 三笠の山にいでし月かも」

という阿倍仲麻呂の歌から、つけられた名前でした。
名前の由来は二つあり

1.奈良にあるという三笠山。
その上に登る満月の丸い形から、「三笠山」と名付けられたという説

2.三笠山のゆるやかな山肌。その流線型から名付けられた、という説


これは、古今和歌集や百人一首に歌われている、情緒あふれる歌。これを詠んだ阿倍仲麻呂は、16才の時に遣唐使として、今の中国である「唐」の国へと渡りました。

天才すぎて帰れなかった阿倍仲麻呂

阿倍仲麻呂は、あまりにも天才だったために
玄宗皇帝に気に入られ、35年の間を唐で遣唐使として過ごしました。
皇帝のお気に入りすぎて、帰国を許されなかったのです。

51才になったとき、ようやく帰国を許されました。
ものすごい長いですね〜私なら実家に帰りたくなります。

帰国する船出のとき、遠い故郷の山へと想いを馳せながら、送別会で詠んだ歌がこの一首でした。どこか情感漂うイメージが浮かぶのは、そういった背景のストーリーからでしょうか。

どら焼きは、関西では「三笠山」
奈良の若草山に三つ、笠を乗せたような山があります。そのなだらかな稜線から、このおいしい和菓子は生まれました。

800年の歴史を刻んでいるという、「どら焼き」。
別名「三笠山」。
なかなかに深く、面白エピソードを秘めたおいしい逸品でした。

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