戦場のパン!パンの日本史と兵糧パン2018.07.03
パンは1543年、鉄砲とともに日本に伝来しました。
今回の特集は「兵糧パン」
歴史は流れ、徳川幕府が、アヘン戦争のために開発したとされるパンです。
「戦場とパン」という意外な組み合わせには、たくさんのエピソードがありました。
兵糧パンの気になる歴史について、紐解いてみましょう!
パンの日本史は織田信長から
私たちが普段使っている「パン」という言葉は、ポルトガル語のpãoが語源と言われています。
パンは鉄砲といっしょに、ポルトガルから伝来したので、実に深い、歴史を秘めた名前ですよね。
その頃、織田信長は「ビスコート」というパンが好きだったという文献がありました。
パン好き、異文化コミュOK! の信長に認められ、広まりそうになったところで、本能寺の変が起こったのです。
徳川幕府が復活させた、パンという時代
その後、豊臣秀吉がキリスト教を禁止したために、パン食文化も一度は火が消えてしまいました。
ふたたびパンが日本史に登場するのは、1840年のアヘン戦争の頃。中国・清に圧勝したイギリス軍が「日本にも攻め込むかもしれない!」という危機感から、戦争にそなえてパン食が開発されたのです。
パンを作りを命じたのは、誰あろう徳川幕府。
パン好きの信長
パンを禁止した秀吉
徳川の時代でやっと、パンはふたたび陽のあたる場所へと登場することができたのでした。
江川太郎左衛門とアヘン戦争とパン
日本で初めて、本格的にパンをつくったのは
軍学者、江川太郎左衛門です。
イギリス軍を撃退する作戦を、徳川幕府から命じられた江川氏は、戦争がリアルで起こった際に、兵士が戦場で食べる食事までシミュレートし「パン」に目をつけました。
米は竃で炊くときに、煙がでます。
戦時中に煙がでれば、敵に居場所をみつけられてしまうでしょう。
ですがパンならばゴハンと違い、火を炊かなくても食べることができますよね。携帯に便利でかるく、持ち運びがしやすい事も、ポイントになったのです。
こうして1842年、本格的な製パン所が創設されました。
長崎からパン職人を呼び、パンを焼かせのですが
これこそが、日本人のために徳川幕府が初めてつくった「最初のパン」となったのです。
兵糧パン、誕生の瞬間でした。
今も残る。はじまりのパンの窯
結局のところ、イギリス軍は
日本に戦争を仕掛けませんでした。
ですがパンの文化は、ここから現代へと続くことになります。
戦争がキッカケで生まれた文化だったとは、意外ですね。
江川太郎左衛門の家は、今、国の重要文化財として保存されていました。歴史に残る「日本ではじめてパンを焼いた窯」が、今も残されていました。すごいですね!
兵糧パン。1842年のレシピ
なんと、兵糧パンを記した古文書が、近年になって発見されました!
1842年、当時のレシピです。
おおーーー、とても貴重ですね。
これは信濃松代藩・真田幸貫(さなだゆきつら)の家臣、金児忠兵衛(かねこちゅうべえ)に宛てた手紙でした。
「麦粉百六十目」「砂糖四十目」「玉子五ツ」と分量まで、細かく記されています。
なんと、イラスト入りでも記載されていました。
この兵糧パンのレシピで作ったパンが、今も食べられるそうですよ。かじると驚愕の!!固いパンだそうです。
江川邸の入り口で販売しているそうです、気になりますね。
パンの日本史を孕んだ、兵糧パン。
ぜひ一度、その味を試してみたいですね。
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